
久しぶりに立ち寄った野池。
現場に着いてすぐ、いつもと違う空気を感じた。
水位が明らかに低い。いや、低いというより水が抜かれている。
普段は水の中に隠れているブレイクや岸際の変化が、はっきりと姿を現していた。
バスが着きそうなライン、季節によって差すであろうポジション。
水がある時には見えなかった池の“本当の形”がそこにはあった。
釣り人としては、地形を把握できる貴重なタイミングでもある。
だが同時に、素直に前向きな気持ちにはなれなかった。
水が抜かれる理由はいくつも考えられる。
護岸や水路の管理、環境整備など、人の都合によるものがほとんどだ。
それ自体を否定するつもりはない。
ただ、その影響を一番受けるのは、そこで生きている魚たちだ。
ブラックバスは外来魚だという意見もある。
それは事実として受け止めなければならない。
それでも、命であることに変わりはない。
水のない池を見下ろしながら、ここで何本ものバスを手にしてきた記憶がよみがえった。
季節ごとの一投一投、試行錯誤した時間。
その全てが、この池の中にあった。
釣りをするという行為は、自然と関わることだ。
だからこそ、フィールドの変化には敏感でいたい。
ただ釣果を追うだけでなく、環境を感じ、考える釣り人でありたいと思う。
水が戻った時、この池はまた息を吹き返すのか。
それとも姿を変えてしまうのか。
答えはまだ分からない。
今日見たこの景色を、忘れずにいたい。
魚を大事にするという気持ちを、改めて胸に刻んだ一日だった。
